半蔵様の指令で謎を解きまする【水蓮のあいち忍者修行!】 | 【公式】愛知県の観光サイトAichi Now

半蔵様の指令で謎を解きまする【水蓮のあいち忍者修行!】指令1:上洛殿に残された謎の伝言を解読せよ!

Mission.01

2018年新たに公開された名古屋城本丸御殿の上洛殿へ潜入。絢爛豪華な装飾に、檜の香りが一流の職人たちのほとばしるような情熱がひしひしと伝わってきます。水蓮が見どころを一挙ご紹介!

半蔵様の指令で謎を解きまする【水蓮のあいち忍者修行!】指令1:上洛殿に残された謎の伝言を解読せよ!

名古屋城 / 名古屋城本丸御殿名古屋市

◆◆PROLOGUE◆◆

月の明るい夜、服部半蔵より水蓮へ指令が届く。

「現世に再建された本丸御殿は上洛殿に謎の伝言が刻まれておるという。内偵を試みよ」

「はっ!」

さっそく、本丸御殿へおもむく水蓮。
はてさて、無事、伝言を解読することができるのかー。

【狂言語りの水蓮:すいれん】
傀儡の術に長け、流ちょうに言葉を操り、人から情報を聞き出す。子どもが大好きで、おしゃべりやお絵かきで、ちびっ子たちと仲良くなるのが楽しみ。

◆本丸御殿とは
1615年に尾張藩初代藩主・徳川義直公と春姫の住まいとして建てられ、その後名古屋城に宿泊する将軍の専用御殿として増築。「近世城郭御殿の最高傑作」と称され、城郭建築として国宝第一号となりましたが、空襲で焼失。2009年より約10年の月日をかけ、精巧な状態で復元されました。
2013年には、来客を出迎えた玄関・表書院エリア、2016年には藩主が私的な宴会を催した対面所エリア、そして2018年に家光公様の御宿所として増築した上洛殿エリアが公開され、いよいよその全貌が明らかになりました。

◆金ピカと水墨画の斬新な美!<梅之間・鷺之廊下>

上洛殿に到着した水蓮…おやっ!早くも興奮が止まらぬ様子。

「われらも名古屋城で皆々をもてなしながら、御殿の復元を今か今かと待ちわびておったのでな…」

なんでも忍者は城外で活動するため、立ち入ることを許されなかったのだとか。

「ただ、舞や音楽などの芸を持つ者が身分を隠し、警備を兼ねて入室はしていたかもしれぬが…とにかくこんな見事な御殿にあがれるとは感激の極みじゃ!」

まずは水蓮、金箔押しの障壁画が見事な梅之間へ。ここは上級家臣の控えの間、将軍をおもてなしする役割となった尾張藩のお偉いさんが使う部屋です。梅之間、というだけに、中央に描かれているのは雪中の梅。

「描いたのは、日本画史上最大の画派といわれておる狩野派じゃ。見事じゃなぁ」

本丸御殿の障壁画は部屋ごとに明確なテーマが設けられているのが特徴。狩野派の規格として、モチーフにもランクがあって、走獣→花鳥→人物→山水と格があがっていくのだそう。なるほど、控えの間や渡り廊下でさえも、一気に格式高くなっているのが一目瞭然です。

◆釘隠しに隠された職人魂

「釘隠しも御殿内の他の建物とはちいと違うのう…」

御殿には3000個ほどの飾金具があるそうですが、慶長期と寛永期の両方の様式を備えているのが二条城などとは違う特徴であり、時代の流行も感じることができるとのこと。

それはそうと、この釘隠しは枕のように大きく、もはや隠すのが目的ではないのでは?というほど装飾が凝っています。なんとこの中には、ほとんどすべての彫金技法が駆使されているのだとか。

「しかもじゃ、これはすべて描かれておるものが違っておるぞ!?」

葡萄と栗鼠、桐に鳳凰、牡丹に唐獅子など。金具ひとつをとってみても、手掛けた職人たちの創作への情熱がひしひしと伝わってきます。

◆最高峰の美が集結!<上洛殿>

こちらは将軍の寝所として使われていた上洛殿。

「さすが将軍様のお部屋よのう!まばゆいばかりじゃ!」

目に飛び込んでくるのが金が惜しげもなく使われた彫刻欄間。鶴や松、龍など瑞祥とされる動植物が極彩色で表現されています。

◆政治の在り方を示した「帝鑑図」

「おおそうじゃった、ここに謎の伝言があるとな…?」

他の部屋と違っているのは、ここの障壁画の絵が他にはない「帝鑑図」であること。これはただの観賞用の絵でなく、大名の行動規範が描かれた大変意味のあるものです。

「これは、家光様の率いる新しい官僚政権に対して、旧勢力だった尾張徳川家の義直様が放った反発のメッセージであったとの話も聞くが…まさか、ねぇ…」。

◆家光公に贈った隠されたメッセージとは

うんうんと頭を悩ませる水蓮。彫刻欄間の中に、太鼓の上に乗った鶏が1羽見えます。

「これは他とは違うが…なにか意味があるのかのう」

そうです、他の彫刻が縁起の良い尾長の鳥であるのに対し、この鶏だけは太鼓に乗っています。

中国の聖天子が、自らの政治に誤りがあった際にはそれを知らせるよう太鼓「諌鼓(かんこ)」を置きましたが、善政を行ったので太鼓は鳴ることもなく、鶏の格好の遊び場となっていた…という故事にならったもの。つまり諌鼓に鶏が止まっているのは善政が行われて世の中がうまく治まっているということで、まさに「天下泰平の象徴」であると言われています。

「そうじゃ、伝えようとしたのはこの心であろう。この部屋におわします家光様へ、ありがたくも天下泰平の時代が来ましたと伝えておるのかもしれぬし、…はたまた違う意味も含めておったのかもしれぬ」

◆とにかく見事な天井は必見

「それにしてもどうであろう、この素晴らしい天井は!」

と思わずため息をつく水蓮。
障壁画や飾金具もそうですが、その中で最もわかりやすく格式の違いを表しているのが天井。廊下はシンプルな格子状の竿縁天井ですが、上洛殿二之間は豪華な黒漆塗金具付格天井が。

そして上段之間には「黒漆塗二重折上げ蒔絵付格天井」があり、天井板絵だけでなく、さらに仕上げに蒔絵が施されています。

「ただ不思議なのが、上洛に当たっては、幕府の老中から、特別なことは一切やらぬようにとのお達しがあったはず。初代・徳川義直様は、禁を破ってまで、なぜこのような御殿をご用意なさったのじゃろうか」

京都の二条城も見事じゃが…と言いかけて

「…!!ま、まさか尾張家の威信を示すため、幕府の二条城を上回るような御殿を建てようとしたのであろうか…?」

水蓮の想像はどんどん膨らみます。

本丸御殿は、どうだといわんばかりに最高の技術を集めた御殿。それなのに、肝心の家光公は行きに泊まったものの、帰りは素通り。その後、200年間使われず、幕末になって十四代将軍家茂公が1回使っただけ。つまり2回しか使われていません。

「200年、いつ来るともしれない時のために、御殿を維持し続けるのはしんどかったであろう…だがこれが尾張徳川家の意地であろうな」

焼失してしまったけれど、多くの資料によってほぼ正確に復元された本丸御殿、このバトンもまた尾張人の意地だったのかもしれません。

◆なぜここに?謎の多い黒木書院

「この部屋は…妙に落ち着くな」

黒木書院は御殿の中で最も小さな建物。この書院だけ木の色がやや暗めなのは、檜ではなく松を使っているから。清須城内にあった徳川家康公の宿舎を移築した殿舎とも伝えられています。天井も低く、障壁画は山水図など風景を描いた水墨画。なぜ松なのか、誰が何の目的で使った部屋か、も含めて、他とはまるで雰囲気も違い、謎の多い部屋です。

◆最新式サウナ!湯殿書院

湯殿書院とは将軍専用のお風呂場。といっても江戸時代初期は湯に浸かる文化がなかったと伝えられており、浴室はサウナのような蒸し風呂形式でした。

「案外広うござるな」

としげしげと見つめていると

「ややっ!?これはなんじゃろうか!?」

水蓮が釘隠しを見上げています。…よくみると家紋は「六葉の裏葵」。徳川家の家紋といえば、有名な三葉葵がありますが、裏紋も見受けられます。そして唐破風のサウナの上にも、家紋なのか、つぼみ?(のような)デザインが。
六葉の裏葵やつぼみの紋には果たしてどんな意味があるのでしょうか。興味はつきません。

◆江戸と平成の時空を超えたコラボ!本丸御殿

「つい絢爛豪華な面ばかり目がいってしまうが、じっと見ておると、そこには一流の職人たちのほとばしるような情熱がひしひしと伝わってくるのじゃ。それは江戸の者だけではない、平成の職人が江戸の職人たちと会話をしておるような不思議な一体感があるんじゃな。我が2つの時代を生きておるからこそ、わかることかもしれぬが…」

すっかり御殿の素晴らしさに魅了された水蓮、興奮に話はとめどもなく…。

「おっといかんいかん、半蔵様に此度の報告をせねばの。ではまたな!」

水蓮、この様子だと半蔵様にたくさん話をしなくてはなりませんね。

Spot Overview

名古屋を代表する観光スポットといえば、筆頭として挙げられるのが名古屋城でしょう。慶長15年(1610)、徳川家康公が天下統一の最後の布石として建てたのがこの名古屋城で、以来徳川御三家のひとつに数えられる尾張徳川家の居城とされてきた歴史を持っています。

名古屋城 / 名古屋城本丸御殿

スポット詳細を見る


ページトップへ