ビジネスの道から、多くの旅人で賑わう街道へ。
江戸初期は、多くの商人たちが行き交じう道として栄えた東海道。その時代の日本では、人々の自由な旅は制限されており、神社仏閣を巡る旅なら出かけることができたと言う。そこで江戸中期になると庶民のなかで三重県への“お伊勢参り”が一大ブームに。また江戸末期には「東海道中膝栗毛」の出版、「東海道五十三次」の浮世絵人気も相まって、庶民の旅への関心はますます高まっていった。こうして東海道は多くの旅人で賑わい、東西文化が交流する街道へと移り変わっていったのである。
愛知県内の街道は、穏やかに歩けるルートが魅力。
愛知県内の東海道の距離は約78キロメートルで、九宿が設けられていた。他に比べると難所の峠や関所もなく、比較的穏やかに通行できるルートであり、当時の旅人も一泊二日の行程で旅していたとか。街道には今も、各宿場を象徴する古い町並みや情緒あふれる風情が残っている。かつての賑わいを思い浮かべながら、いにしえの旅人気分を満喫してみてはいかがだろう。
徳川家康の整備により、発展を遂げた東海道。
古代・中世の時代から東西を結ぶ重要な幹線道路として利用されていた道を、徳川家康が慶長6年(1601年)に「一里塚」や「宿場」を設け、さらに「宿駅伝馬制」も本格的に敷いて整備したことが、今日の東海道のはじまり。 江戸・日本橋を拠点とする五街道の中でも特に賑わいを見せ、日本のメインストリートへと発展していった。
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