WELCOME TO
HEART OF
JAPAN AICHI!
古い価値観を破壊し、新しい時代を切り開いた日本を代表する戦国武将。幼少の頃は「大うつけ(馬鹿者)」と呼ばれていたが、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ってからは、領土を拡大し天下取りをめざした。しかし、本能寺の変で明智光秀の裏切りにあい自刃。その志は、豊臣秀吉に受け継がれた。
安土城/愛西市・稲沢市・名古屋市中区
織田信長の本能寺の変で倒れた後、信長の志を受け継いだ豊臣秀吉。貧農の子として生まれ、元々は木下藤吉郎と名乗っていたが、出世をするにつれ、羽紫、豊臣と姓を改めた。あだ名は「猿」や「はげネズミ」又は、官位から「筑前」とも呼ばれた。信長に可愛がられ農民から天下人へと大出世した。戦国一の出世頭。
大坂城/名古屋市中村区
豊臣秀吉の死後、「関ヶ原の戦い」で天下を掌握した。1542年、三河岡崎城主松平広忠の嫡子として誕生。幼い頃から織田、今川家の人質として苦難の道を歩いた。戦国武将として独立してからも、信長、秀吉に従うなど、様々な試練をひたすら「忍」の一念で耐え抜き、ついに戦国の世を泰平に導き、260余年にも及ぶ江戸幕府の礎を築いた。
江戸城/岡崎市
尾張を代表する武将。軍神(清正公)として各地で祀られているほど人気がある。秀吉の母・なかの親戚として、小さい頃から秀吉・おねに育てられた。賤ヶ岳の戦いでは「七人槍の一人」に数えられるほど功績をあげた。
熊本城主/名古屋市中村区
秀吉の親戚筋。清正同様、幼少時から秀吉に仕えた子飼いの臣下。「賤ヶ岳の七人槍」の代表として、清正以上に武勇を誇った。名古屋城の石垣普請や堀川の造成など、名古屋開府に大きな功績を残した。
広島城主/あま市
小姓として「うつけ」時代から信長に仕えた。数々の武勲をたて、信長の命により、四男でありながら家督を継ぐ。豊臣政権では大老。江戸期、加賀藩の祖となる。金沢市尾張町と荒子町は、今でも交流を続けている。
加賀藩初代藩主/名古屋市中川区荒子町
【尾張藩士】
【三河武士】