歴史観光モデルコース

紅葉を愛でながら往く、門前町・旧街道・知多四国めぐり

  • 1日目
  • 2日目

名古屋駅

美濃路起宿

有松の町並み

野間大坊

聖崎公園

師崎港

伊良湖港(周辺泊)

伊良湖

田原氏博物館・田原城跡

旧東海道二川宿

普門寺

豊川稲荷

豊川駅

豊橋駅

離島はルート表示されません

1日目

FIRST DAY

名古屋駅

バス

約40分

美濃路起宿(60分)

バス

約50分

有松・鳴海の古い町並み(45分)

風情漂う東海道を歩いてみよう
有松のまちは、慶長13年(1608)に尾張藩の奨励によってつくられました。耕地も少なかったため、副業として絞染めを工夫したのが有松絞のはじまりです。
ところが天明4年(1784)、大火により村の大半が焼失するという災難に見舞われました。復興をはかるなか、建物は火災に備えて漆喰を厚く塗り込めた塗籠造とし、萱葺き屋根に替わって瓦葺が使用されました。今も当時の面影を残した町家が並び、有松地区ならではの風情を漂わせています。

有松絞会館と有松・鳴海の古い町並み

バス

約50分

野間大坊(大御堂寺)(15分)

源義朝公、そして織田信孝公が眠る地
源頼朝公の父、源義朝公が眠るとされるお寺で、野間大坊(のまだいぼう)の名前で知られていますが、正式には鶴林山大御堂寺(かくりんざんおおみどうじ)といい、本尊は阿弥陀如来です。歴史は古く、天武天皇(673年~686年)の時代に建立されています。
鐘楼堂の梵鐘には建長2年(1250年)の銘があり、国の重要文化財に指定されています。
平安時代の末期、平治の乱で平清盛公に敗れた源義朝公が家臣(長田忠致・景致)を頼って野間にやってきましたが、二人の裏切りに合い入浴中に殺されてしまいます。その時、義朝公の御首を洗ったとされるのが「血の池」とされ、義朝公のお墓のほか、平家追討、奥州征伐を終えた頼朝公が寄進した大門も残されています。
また、豊臣秀吉公に敗れてこの地で自害した織田信長公の三男信孝公の墓もあり、重要な史跡が境内に数多く残されています。

野間大坊(大御堂寺)

バス

約20分

聖崎公園(10分)

バス

約10分

師崎港

愛知県南知多町の先端に位置する港湾。日間賀島、篠島、伊良湖への定期高速船が出ています。

師崎港

船

約50分

伊良湖港(周辺泊)

2日目

SECOND DAY

伊良湖

太平洋から伊勢湾・三河湾までを一望できる、渥美半島先端にある伊良湖岬。
その最先端に建つ白亜の灯台は、伊良湖岬のシンボル。三島由紀夫作「潮騒」の舞台になった神島を見渡すことができます。灯台から遊歩道もあり、目の前に広がる青い海と白い灯台とのコントラストが美しく、晴れた日の夕日が沈む頃はロマンチックなムードに包まれます。その凜とした姿は、思い出に残る灯台として「日本の灯台50選」にも選ばれています。

バス

約45分

田原城(田原市博物館)(60分)

三河湾支配の拠点となった堅牢な城
文明12(1480)年頃に戸田宗光によって築かれ、同氏の三河湾支配の拠点となった城。まわりを海に囲まれた堅牢な城としても知られています。一時期、池田輝政の支配となったこともあり、この時期に城と城下の整備が進んだとされています。
現在は歴史博物館となっており、国の重要文化財など貴重な品を展示。田原藩家老であり、画家、蘭学者としても名を馳せた渡辺崋山の関係資料も多く展示しています。

田原城(田原市博物館)

バス

約45分

二川宿(60分)

大名・庶民・商家から見たそれぞれの宿場町の姿
東海道二川宿は、江戸日本橋から33番目の宿場。現在でも江戸時代の町割りがほぼそのままの状態で残されています。大名の宿である「本陣」と、庶民の宿である「旅籠屋(清明屋)」に加え、宿場で有数の商人だった田村家の店舗兼住居の「駒屋」が平成27(2015)年より一般公開され、本陣・旅籠屋・商家の3ヶ所が見学できる日本で唯一の宿場町となりました。

豊橋市二川宿と本陣資料館・周辺

バス

約15分

普門寺(30分)

バス

約45分

豊川稲荷(豊川閣妙厳寺)(90分)

日本三大稲荷のひとつに数えられ、商売繁盛の神様として全国的に知られる「豊川稲荷」。
570年以上も前の室町時代に創建されて以来、織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公などの武将や、渡辺崋山など文人たちからの信仰を集めてきました。江戸時代には庶民の間で商売繁盛や家内安全、福徳開運の神として全国に信仰が広がり、現在も年間数百万人もの参拝客が訪れます。

豊川稲荷(豊川閣妙厳寺)

徒歩

約10分

豊川駅

電車

約16分

豊橋駅